2012年6月アーカイブ

遺品/遺跡

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1. 薬釜(御子柴家)
2. 翁乗牛の肖像(御子柴家) 
3. 薬鍋(今井家 今井徳山) 
4. 徳本念仏塔(上岩崎1041 番地)
5. 徳本蝋人形 ぶどうづくり指導のエッチング作品(ぶどうの国文化会館)
6. 記念碑 1667 年、雨宮作左衛門により雨宮家の葡萄園の中に建立

株式会社トクホンのネーミングの由来は徳本先生といわれています。

 

著書

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『梅花無尽蔵』
『徳本翁十九方』
『医之弁(いのべん)』
『知足斎医鈔(いしょう)』
『薬物論』
『診脈論』
『望診術』
『知足斎十九万』
『灸治法』

由来の地

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徳本峠(とくごうとうげ)

標高約2,140m。北アルプス・常念山脈南部(長野県松本市)にある。上高地と梓川流域の島々を繋ぐ。昭和8 年に釜トンネルが開通するまで、上高地への主要アクセスであった。その名の由来は峠を越えた先が徳吾という地であったため、また徳本が諸国遊歴の際にこの峠を越えたなど諸説ある。

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徳本水

長野県上伊那郡辰野町にある、信州の名水・水辺百選にも選ばれる湧き水。「今村の徳本水」と呼ばれる。徳本がこの霊水を用いて人々の病を治療したことから「徳本水」の名がついた。江戸時代中期の名僧・徳本上人との混同も相まって、近隣の人々の信仰の対象ともなっていたという。

徳本稲荷

yurai2.jpg大浜・宝珠寺の本堂の背面には徳本稲荷という稲荷社が接合している。江戸初期の甲斐国の名医、永田徳本を祀った神社だ。

藍塔

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寛永7 年に118 歳という驚異的な長寿で亡くなった徳本。
 二度目の居住で、その晩年を過ごした諏訪郡東堀村(現・岡谷市長地地区)の尼堂墓地に現在も徳本の藍塔が残る。

ranto.jpg墓地の中にひっそりと佇むその藍塔は、屋根の部分がボコボコに斫られている。その昔まだ衛生環境があまりよくなかった時代はイボなどの皮膚病が多く、徳本はこれらの疾患に全力を傾注して取り組んでいた。そんな徳本は没してなお「イボとりの神様」と呼ばれ、人々はイボなどの皮膚病を治すため徳本の藍塔を参詣し、藍塔の中に積まれた小石を掴んで、屋根を叩いた。叩くことで徳本の神通力を頼み、その小石を持ち帰っては、患部を撫でてお祈りすると、イボなどが治まったという。

そして、患部が治るとお礼参りに、小石を二つにしてお供えして戻した。墓石そのものを削って煎じて飲むこともあったらしい。

二十七種類の生薬を使った、工夫の行き届いた処方群。丸散薬が多く、携帯に便利。武田信玄が「十九方」を陣中の必携書とし、戦国時代の軍人医学書とも言うべき性質を持っていた。平時、救急に使用できる薬を、戦時下の傷病兵にも活用するため、どうしても携帯性と平易さが要求された。この「十九方」を別名「救急十九方」とも称する。

十九の煎じ薬に必要な二十七種類の生薬

1. 柱枝 ケイシ(シナモン)

体を温める作用、発汗・発散作用、健胃作用を持ち、温熱の作用があるとされる。

2. 甘草 カンゾウ

各種の生薬を緩和・調和する目的で多数の漢方方剤に配合されている。このため、漢方ではもっとも基本的な薬草の一つ。国内で発売されている漢方薬の約7割に用いられている。
緩和作用、止渇作用がある。
日本では300 年以上前から栽培されていた。江戸時代には山梨県甲州市(旧塩山市)でも。

3. 大棗 タイソウ(ナツメ)

生薬。ナツメまたはその近縁植物の実を乾燥したもの。強壮作用・鎮静作用がある。
甘味があり、補性作用・降性作用がある。葛根湯、甘麦大棗湯などの漢方薬に配合されている。

4. 生姜 ショウキョウ

しょうがの根茎。発散作用、健胃作用、鎮吐作用がある。乾燥させた根茎を生姜、蒸してから乾燥させたものを乾姜という。

5. 芍薬 シャクヤク

消炎・鎮痛・抗菌・止血・抗けいれん作用がある。

6. 葛根 カッコン

クズの根を干したもの。発汗作用・鎮痛作用。 

7. 麻黄 マオウ

発汗作用を持つ、現代でいう解熱鎮痛剤の一種。
風邪の初期で、頭痛・悪寒・発熱・腰痛・関節痛・咳・喘息などの症状の改善に用いられる。気管支喘息に効果のある成分エフェドリンが含まれる。

8. 杏仁 キョウニン

鎮咳剤・去痰剤として多く用いられている。
古くから「毒のある薬味」とされており、分量を慎重に決めるようにといわれていた。

9. 半夏 ハンゲ

烏柄杓のコルク層を除いた塊茎。
鎮吐作用のあるアラバンを主体とする多糖体を多く含んでおり、半夏湯(はんげとう)、半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)などの漢方方剤に配合される。他に、サポニンを多量に含んでいるため、痰きりやコレステロールの吸収抑制効果がある。

10. 桔梗 キキョウ

去痰、鎮咳、鎮痛、鎮静、解熱作用があるとされ、消炎排膿薬、鎮咳去痰薬などに使われる。主な産地は韓国、北朝鮮、中国。
桔梗湯(キキョウ+ カンゾウ)や十味敗毒湯、防風通聖散、排膿散などの漢方方剤に使われる。

11. 橘皮 キッピ

健胃作用、鎮咳作用、去痰作用、駆風作用。
血圧降下作用があり、胃もたれ、消化促進、食欲増進、風邪によるのどの痛みやせきなどに良いとされる。

12. 黄苓 オウゴン

消炎・解熱などに利用される。

13. 柴胡 サイコ

解熱、解毒、鎮痛、消炎薬として胸脇苦満(胸脇部の圧痛)があり、寒熱往来、黄疸、胸腹部もしくは脇下部(月経痛等)の痛みに応用する。

14. 茯苓 ブクリョウ

利尿、鎮静作用等。

15. 細辛 サイシン

解熱、鎮痛作用がある。小青竜湯、麻黄附子細辛湯、立効散などの漢方方剤に使われる。

16. 五味子 ゴミシ

鎮咳去痰作用、強壮作用などがある。
「五味子」の名は、甘味、酸味、辛み、苦味、鹹(塩味)を持つことから名付けられ、植物そのものの名前ともなった。
五味子は小青竜湯、清肺湯、人参養栄湯などの漢方方剤に配合される。また、五味子茶や五味子酒としても利用される。

17. 乾姜 カンキョウ

しょうがの根茎を蒸して乾燥させたもの。
興奮作用、強壮作用、健胃作用があるとされる。生姜よりも熱性が強い辛熱の性質があるとされるので胃腸の冷えによる機能障害では乾姜を使う場合が多い。

18. 附子 ブシ

トリカブトの「毒・漢方薬」の総称あるいは植物トリカブトの異名。強心作用、鎮痛作用がある。また、牛車腎気丸及び桂枝加朮附湯では皮膚温上昇作用、末梢血管拡張作用により血液循環の改善に有効である。しかし、毒性が強いため、附子をそのまま生薬として用いることはほとんどなく、修治と呼ばれる弱毒処理が行われる。

19. 人参 ニンジン ( オタネニンジン 朝鮮人参・高麗人参とも)

糖尿病、動脈硬化、滋養強壮に効能がある。血圧を高める効能があるため、高血圧の人は控えるべきだと言われてきた。しかし、血圧の高い人が飲むと下がるという報告もあり、実際は体に合わせて調整作用があるともいわれている。また、自律神経の乱れを整える作用もある。
江戸時代には大変に高価な生薬で、庶民には高嶺の花だった。このため、分不相応なほど高額な治療を受けることを戒める「人参飲んで首括る」のことわざも生まれた。

20. 当帰 トウキ

根は血液循環を高める作用があり、充血によって生じる痛みの緩和に有効。
膿を出し、肉芽形成作用があるとされている。

21. 白朮 ビャクジュツ

本種またはオオバナオケラの根茎。
補裨益気・燥湿利水・健胃作用・利尿作用・鎮静作用。
下痢・泥状便・食欲がない・上腹部が脹って苦しい・舌質が淡白・舌苔が白い・沈脈などの脾虚の症状があるときに用いる。

22. 蒼朮 ソウジュツ

水毒を去り、脾胃を健やかにする。発汗に作用し、健胃整腸、利尿薬。
漢方でいう水毒( 水分 代謝障害・不全) の要薬。
 

23. 防己 ボウイ

防衛力を高め、水分代謝を良くしてむくみをとる。多汗、浮腫、尿量の減少、頭痛、関節痛のほか、水を飲んでも太るような水太りタイプの肥満症や、風邪を引きやすいタイプの体質改善に用いることもできる。

24. 沢瀉 オモダカ

オモダカ科サジオモダカおよび近縁種の根茎。
利尿、止渇薬として、小便不利または、頻数、めまい、口渇、胃内停水などの症状に用いる。

25. 瞿麦 クバク

消炎・利尿薬などに用いる。
 

26. 天花 テンカフン

主としてあせもやただれ防止に皮膚に塗布する。

27. 琥珀 コハク

古代のカエデやマツの樹脂が地層中に埋もれて化石となったもの。安神、利水、活血などの効能があり、不眠症、痙攣、排尿障害などに利用。

徳本翁遺方に載る十九方

処方を適当に組み合わせながら、あらゆる疾病に対応しようとした。
黒鉛、緑礬、礬石、青蒙石、鉄粉などの鉱物薬の入ったものも多く、軽粉、辰砂などの水銀化合物も四処方に組み込まれている。

1. 發陳湯 ニチントウ

(桂枝、茯苓、半夏、柴胡、甘草、芍薬、橘皮、黄、大棗)現在では二陳湯という。
吐き気や嘔吐をおさえ、体を楽にする漢方薬。体力が中くらいの人で、胃に水分が停滞しチャポチャポしているときに、また頭痛やめまいをともなうときにも向く。
自然の草や木からとった「生薬」の組み合わせでできている。
二陳湯の構成生薬は下記の五種類。吐き気をおさえる“半夏”と“生姜”、余分な水分を取り去る“茯苓”、健胃作用のある“皮”、さらに緩和作用の“甘草”が加わる。これらがいっしょに働くことで、よりよい効果を発揮する。
病院では、煎じる必要のない乾燥エキス剤を用いるのが一般的。

2. 榮陽湯 エイヨウトウ

(麻黄、桂枝、葛根、甘草、芍薬、杏仁、半夏、桔梗、生姜、大棗)
現在の人参栄養湯。気と血を補う薬。肺を潤しながら胃腸の調子を改善する働きがある。空咳があるような胃腸の弱い人に向く。
血も補うのが異なるところで、顔色が悪いとか(女性で)経血の色が薄い、量が少ない、動悸があるなどの人に向く。気道に水分の多い人は、吐き気の可能性もあり。

3. 青龍湯 セイリュウトウ

(麻黄・桂皮・芍薬・半夏・五味子・細辛・乾姜・甘草)
現在では小青龍湯というアレルギー性鼻炎や喘息などに用いる漢方薬。
発汗作用があり、体の熱や腫れ、あるいは痛みを発散させる。また、水分バランスを調整する働きもある。
西洋医学的には、気管支拡張作用、抗アレルギー作用、抗炎症作用などが認められている。具体的には、鼻カゼ、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、気管支喘息、花粉症などに用い、とくに、カゼのひき始めなどでゾクゾク寒気がし、クシャミや水っぽい鼻水がたくさんでて困るときに適している。体力が中くらいの人に向く処方。
小青龍湯の構成生薬は下記の八種類。
薬理的に重要な役割をする“麻黄”には、交感神経刺激薬のエフェドリン類が含まれる。この成分は、西洋医学の気管支拡張薬と同様の作用を示し、咳やゼイゼイする喘鳴をおさえる。そのほか、おだやかな発汗・発散作用のある“桂皮”、痛みをやわらげる“芍薬”、咳やアレルギー症状をおさえる“半夏”や“五味子”、“細辛”などが含まれる。これらがいっしょに働くことで、よりよい効果を発揮する。病院では、煎じる必要のない乾燥エキス剤を用いるのが一般的。

4. 理中散

(茯苓、人参、白朮、桂枝、甘草、乾姜)

5. 容平丸

6. 瀉心円 シャシンマル

急・慢性胃腸カタル、発酵性下痢、消化不良、胃下垂、神経性胃炎、二日酔、口内炎、神経症などに用いられる。
みぞおちのつかえ、食欲不振、悪心、嘔吐、腹が鳴る、軟便、下痢などを伴うものに用い、消化を助け諸症状を改善。

7. 解毒丸 ゲドクガン

(連翹・金銀花・甘草・牛蒡子・桔梗・淡豆・薄荷・淡竹葉・荊芥・羚羊角)
風邪によるノドの痛み、せき、口の渇き、頭痛・咽痛・悪風・かぜ・口渇・頭痛・せき・発熱・無汗に。

8. 救疝飲

9. 直行丸

10. 芍薬散

(当帰・川弓・芍薬・茯苓・朮・沢瀉)
貧血冷え性で、下眼瞼(がんけん)が貧血して眼の周辺に、うす黒いクマドリが出て、頭重、めまい、肩こり、動悸(どうき)などがあって、排尿回数が多く尿量減少し、喉が渇く、または、冷えて下腹部に圧痛を認めるか、痛みがあるときに。

11. 清済子湯

12. 当帰散 トウキサン

(当帰・芍薬・川窮・黄ゴン・白朮・蒼朮または白朮・沢瀉・茯苓)
体をあたため、貧血症状を改善する漢方薬。
お腹が張り気味で体力が無く息切れする、食欲はあるけど腹がつって食の進まない、妊娠によるむくみやめまいを目標に“当帰”と“川きゅう”には、血行をよくして貧血症状を改善し、体をあたためる作用がある。
“芍薬”は生理痛や肩こりなどの痛みをやわらげる生薬。また、“蒼朮”と“沢瀉”、“茯苓”は、漢方の代表的な利尿薬で、むくみ症状を改善したりする。
これらがいっしょに働くことで、よりよい効果を発揮する。

13. 順気散

(冬虫夏草、メシマコブ、アガリクス)
栄養補助に。
 

14. 禹余粮丸

15. 癇虫丸 カンムシマル

小児神経症に。

16. 玉丹

(巴豆、辰砂、鶏冠、礬石、藜芦、附子、水銀、黒鉛)
現在では玉丹栄心丸という漢方薬。益気養陰、活血化オ、清熱解毒、强心復脈の作用があり、ウイルス性心筋炎、心筋損傷などに有効。
玉丹栄心丸の構成生薬は玉竹、丹參、遼五味子、降香、苦參、蓼大青葉。

17. 磁石丸

現在では貧血性の耳なりの薬で「耳鳴丸(ジメイガン)」がある。

18. 排膿散

皮膚の腫れや発赤をしずめる漢方薬。
現在では排膿散及湯(ハイノウサンキュウトウ)という方剤。皮膚の腫れや発赤をしずめ、治りをよくする。
化膿性の皮膚病のほか、歯肉炎や歯槽膿漏などにも用いる。
主薬の“桔梗”には排膿をうながす作用があるといわれている。“枳実”や“芍薬”、“甘草”などは炎症や痛みをやわらげる。これらがいっしょに働くことで、よりよい効果を発揮する。病院では、煎じる必要のない乾燥エキス剤を用いるのが一般的。

19. 治瘡丸

(大黄、軽粉、牛膝、山帰来、梔子)

永田徳本(ながた とくほん)は戦国時代から江戸時代初期にかけての名医。薬草に長け、医聖と称された。

牛にまたがり「一服十八文」と書いた薬袋を首から下げて診察して周り、貧しい人々に無料で薬を与えたり、安価で診療を行ったとされる。
伝説的要素が多く、生没年もその域を出ないが、記録によれば享年118 歳という驚異的な長寿であった。

徳本は三河国大浜(現在の愛知県碧南市)に生まれ、少年期には僧の残夢に学問を仰ぎ、後に月湖道人、玉鼎、田代三喜などから医術を学ぶ。『傷寒論』(漢の医学書、現在の日本の漢方医学の元となる)を信奉し、独自の処方を研究した。

医術を修めると徳本は諸国を遊歴、後に甲斐に招かれ武田信虎・信玄父子の侍医となる。信虎の追放後は諏訪郡東堀村に移り、御子柴家に滞在、その娘と結婚し一子をもうける。諏訪で過ごした40年余りは徳本にとっての円熟期といえる。

武田氏が滅び、信長が諏訪に兵を進めると、間もなく徳本は諏訪を去る。そして晩年再び東堀村に住みその生涯を閉じた。現在も岡谷市の尼堂墓地には徳本の藍塔「らんとう(墓)」が残る。

逸話

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■出自

徳本の出自には諸説あるが、桓武天皇の流れを汲む桓武平氏の良兼流の武家である長田氏(おさだ、平治の乱において源義朝を暗殺した長田忠致が著名)の分家の出であるという。(左頁参照)長田宗家で徳川家康の下で戦功をあげ譜代大名となった永井直勝の叔父であったという説もある。

■禅

徳本は幼少期に、当時学問を志すものが一度は僧籍に入ることが一般的だったため、これに倣って禅僧・残夢に師事している。このため禅宗的な宗教思想を身につけ、これを医療にも反映させていたという。また徳本は深山幽谷を跋渉し、奇獣妖怪を退治したともいう。

■傷寒論

張仲景の「傷寒論」(明の医学書、現在の日本の漢方医学の元となる)をとり、好んで水銀、黒鉛、辰砂の入った峻剤(強い薬)の頓服を勧めた。万病は体内の鬱滞によって起るとし、これを散らすため峻剤を用いた。「薬は毒ありて劇しきがよろし」を理念とし、各種の吐剤、下剤、発汗剤を処方した。癩病(ハンセン病など)の治療も手がけ大風子を用いた。また梅毒(感染症)の治療も行い辰砂(水銀化合物)を用い成功した。

■林羅山

(江戸初期の朱子学派儒学者。徳川家康、秀忠、家光、家綱の四代に渡って仕える)徳本は一時、友人・林信時の息子であった若き日の林羅山を弟子として、迎えるもその大器を見抜き、ほかの職に就くように勧めたという。

■葬式

ある日、お葬式をしているところに徳本が通りかかった。「突然亡くなるような人はこの家にはいないはず…亡くなったのは娘さんというが、今一度棺を開けてごらん、あの娘は生きているはずだから」という。うそか本当か棺をあけて娘の脈をはかると、娘は本当に生きていた。そうしてあやうく葬られてしまう命を救ったという。

■将軍秀忠

将軍職をすでに退いていた徳川二代将軍秀忠が重病を患い、御典医たちの手に負えず困り果てていたとき、徳本に白羽の矢が立った。徳本と並び「医聖」と称され畏友でもあった曲直瀬道三、その子息の玄朔が徳本を推挙したという。玄朔も以前に秀忠の病を治したことがあり、その時の殊遇は厚く、江戸城内に邸宅を賜っている。また徳本が甲斐にいた頃、その世評を耳にした家康が徳本を三河へ呼び、熱心に唐瘡の治療法を尋ねたともいう。そして何より無冠の徳本の名声は天下に轟いていた。すでに齢百を数えていた徳本はいつものように牛にまたがり江戸城に登城した。秀忠を一診するや、峻剤を処方した。すると忽ちに病は雲散霧消した。

これを大変喜んだ秀忠は徳本に褒美を遣わそうとしたが、徳本はこれを拝辞して、一服十八文の治療費だけ頂戴すればよいと答えた。それでは気がすまぬ秀忠に押され、徳本はやむなく生活苦の友人に宅地を賜ればと言った。幕府からその友人に与えられたその宅地は長く「徳本屋敷」と呼ばれた。

また徳本が秀忠を診る前、御典医たちが奥の間から猫の足に糸を結びその先を徳本に渡した。貴人の脈は間接的に糸脈で診るとされていた。糸をじっと握った徳本は「この患者には鰹節を食べさせればよい」と言って席を立ってしまったという。御典医たちの意地悪を見破ったのだ。

■洞察力

徳本はかなり達識の医者で、患者が治るかどうかを見越す眼も鋭かったという。
乞われて、一服十八文の薬を与えても、一目患者を見ただけで、いきなり徳本が泣き出したことがあった。「なぜ、お泣きになるのですか?」病人の家族がきくと、徳本は「いまは言えない」といって、逃げるように去った。しばらく経って、病人が死んだ。家族たちは思わず顔を見合わせて話し合った。「徳本先生は、この病人が助からないことを知っていらっしゃったのだ。でも、自分の口からはそれが言えないので、ああしてお去りになったのだ。」この話が伝わると、「徳本先生は、単なる売薬業者ではなく、人間の生死についても深い洞察力を持っている」とその名が高まった。

■甲州ブドウ

徳本は武田家との縁あって甲州にも長くおり、甲斐の徳本とも呼ばれた。また徳本は山野をめぐり薬草を採取しながら研究したため、植物学にも長けていた。
勝沼で甲州ブドウを作り出した雨宮家の子孫が徳本に色々と相談したところ、「作り方によっては大きな利益を得られる」と現在まで続くブドウ棚での栽培方法を考案した。

甲斐国は狭く、土地を有効に使うのには、空に向かって伸びて行くより仕方ない。
徳本は「ブドウを横に植えるのではなく、タテに植えろ」といい、ブドウ棚を用いて作る方法や、つぎ木挿し木を教えた。
また、「ブドウも、もっと多くのいろいろな種を交媒しろ。そうすれば、いろいろな味のブドウができる」「俺が有名なのは、俺の売る薬は全て十八文、という言い方をしているからだ。同じように、おまえたちもどうせブドウを作るからには、ブドウは甲州に限る、と言われるようにしろ。ブドウの名産地は甲州だ、という名が立てば、たとえ同じものでも高く売れる。それが、さらにいろいろな味を持っていると知れば、いよいよ甲州ブドウの名は高くなる」と教えた。

■カリン

信州に入った徳本は、同じ様にカリンの作り方や改良方法を指導した。ところが地元の人で、「あれはカリンじゃない。この地方でマルメロと言ってきた果物だ」と文句をいう者がいた。徳本は笑って、「マルメロでもカリンでもいい。しかし、カリンのほうが響きがいい。そしてカリンは諏訪に限る、信州に限るという評判を立てることが大事なのだ。元の名前が何であろうと、そんなことは関係ない。食べる人たちが、カリンという名前を愛するのなら、その名を尊重すべきだ」と大衆の好むネーミングを大事にするということを教えた。
カリンの砂糖漬は、人々に育まれた逸品である。

■三人の女中

諏訪での晩年のこと、ある日徳本がうちへ帰ってくると、女中が薬の調合法を記してあった帳面を出して、写していた。
徳本がいるのにも気づかずに必死で書き写していたところに徳本が「なにをするのだ」と声をかけたところ、女中は驚いて「申し訳ない」と言った。徳本が、なぜ留守中にこんな薬の調合の帳面を出してきて写していたのか訊くと、女中は「私は江戸の侍医の娘だが、将軍様をなおした徳本は偉いお医者だから諏訪へ行って徳本の調合を盗んでこいといわれて来ました」と答えた。すると徳本は他にも二、三人いた女中を呼び、「おりゃあ乞食医者だが、お前たちこまるちゅから女中においたが、どうもただの家の娘じゃねえと思った。ほじゃあみんなこの帳面を写せ、それから裏へ行って裏の畑に薬用の植物があるから、その種をくれるから江戸へ行って、坪庭を潰してみんなこれを植えろ。ほうして江戸の町の病人をなおせ」こういって女中を帰してやりました。

■お砂糖

姑との確執に疲れ切った嫁が、姑を殺す薬を調合して欲しい、さもなくば自害すると徳本に迫った。そこで徳本は、毒薬と称して粉薬を与えた。嫁は喜んで姑の食事に毎日その粉未を混入する。しかし日が経つにつれ、姑は嫁の優しさにすっかり打ち解けて、近所でも評判の嫁姑の仲になった。こうなると、いたたまれなくなった嫁は、再び徳本を訪ね、「私は何と罪深い女でしょう。あの仏様のようなお姑様を殺そうなんて。先生、どうかお母様をお助けください。」と涙ながらに訴えた。徳本は笑って、「心配はいらぬ。そなたに渡したのは、毒ではなくて砂糖じゃ」と答えたという。

■弟子

約五十人いたといわれる徳本の弟子の徳山は、岡谷で桑などの薬草を栽培し、研究したという。 

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